渦巻く知識

爪痕

夏休みの課題は戦争体験を聞いて感想を書くこと。
そういう発表があったのはまだ終業式まで一週間もある日だった。
博武はぼんやりと死んだ祖父母の事を思い出した。彼らは確かに戦争を体験していたし、小学生の時分に同じような課題を受けて話を聴いていた。
あの時はただ「怖かった」くらいの感想だった気がするが、あれから四年経って、それ以上の感想が思い付くものなのかと疑問に感じた。
空襲警報が鳴ると防空壕へ逃げ込まなきゃならんのだけど、その時はちょうど山で兜虫を獲りに来ていたから近くに防空壕がなくて、大きな木の下で震えていた。
遠くに町が燃えているのを見た。
そんな話を祖父がしていた。
それくらいしか覚えてはいなかったが、木の下で震えながら燃える町を見ている情景がありありと目に浮かび何日か夢に見るほどだった。
だが今となってはそんなに怖いことなのかとすら思えた。
冷静になれば燃える町など想像もできない。小学生の時分は大層想像力が強かったのだろう。僅か四年と言えども博武が大人になるには十分な時間だったのだ。
今はそんなに怖くはなかろう。ではどう感じるのだろうか、と言う疑問と共に、今は亡き祖父母を除いてほかに戦争体験を聞ける人など思いつかなかった。
授業の折、担任の矢作先生がこう話した。
「戦争とは酷いものです。みんながみんな怖くって悲しくって、でも国の偉い人たちが勝手に始めたせいで、多くの人が死んでいきました。
彼らは誰一人として死にたくなんてなかったのに死んでいきました。生き残った人たちは悲しみと、戦争を始めた偉い人たちへの憎しみでもって今を生きています。
戦争が終わった時はみんな嬉しかったに違いありません。みなさんは戦争は二度とやってはいけないものだと言うことを、そして戦争を始めた永久戦犯の罪を市政の人々がどう感じたのかを聞いてきてください。
きっといい勉強になるでしょう」
矢作先生もまた戦争を知らぬ世代だと言うのに随分とはっきりと言うので、それが真実なのであろうと思われた。
だが問題は誰に話を聴くか、である。


夏休みが始まって、うかうかしていられないかも知れんとは思いつつも、外はうだる様に暑く家から出るのは憚られたので博武は毎日の様に家でゲームをして過ごした。
銃を持って人を殺すゲームである。
「こんなものやってると人殺しになる」
とどこかのテレビでコメンテーターが言っていたけれども、そもそもゲームは現実ではないと言う事を博武は知っていたし、殆どのゲームプレイヤーも知っていた。現実ではないから人を殺しているのだ。だのにその境界が曖昧な人間がほんの一握りにも満たないほどに居て、そういう奴らがまるで代表のような顔をしているのが憎たらしかった。
僕らは健全なゲーマーであって、現実と混合するような愚か者じゃないと、いくら口で言っても彼らの事を引き合いにされるのが嫌だった。一部の人間しか見ないのは不公平だと感じた。

さて、そうこうしている内に夏休みももう終わる。こいつは参ったと博武は思った。
あと一週間じゃないか。誰にも話を聞いていないぞ。
ソワソワしてきたのでクラスメイトの健にどうしたか聞いてみた。最悪写させてもらえば良い。矢作先生は全員分を隈なく読む訳ではないだろうから、自分くらい手抜きでも良いだろうと言う考えだった。
すると健からは、明後日に大叔母さんに話を訊こうと思っているから一緒に来ないかと誘いがあった。写すだけで良かったのにそう言われると流石に写させてとは言えず、博武も一緒に行くことにした。

大叔母さんは健の祖父の妹である。
健の祖父は痴呆が激しくてとてもじゃないけど話を聞くなんてできないし、祖母の方は亡くなっていたから、大叔母さんに母がお願いしてくれたらしい。
大叔母さんの家はとなり町にある。バスで小一時間くらいの所だが、辺りは田んぼが広がっている。
昔は健の祖父がこの辺りを仕切っていたらしいが、今は町に寄付して別の人が面倒を見ていた。
田んぼの傍を流れる用水路で昔、アカハライモリを捕まえたのを覚えている。家の飼育ケースで買っていたが、蓋を閉めるのを忘れていていなくなってしまっていた。数日後テレビの裏で干からびた状態で死んでいるのを見つけて、近くの神社の土に埋めた。
大叔母さんの家を訪ねると、健の父の従兄弟の義博叔父さんが出迎えてくれた。
「よく来たね。お母さんもさっきお昼寝から起きた所だよ。いいタイミングだった」
義博叔父さんはそう言うがまだ朝の十時を回ったところだ。お昼寝とは一体何時ごろから使える言葉なんだろうかと考えながら博武は挨拶を交わした。
大叔母さんのキヨさんは、まだ眠そうな顔でソファにもたれかかっている。深い皺でどれが目なのかも良く分からない。ただ声はデカくて、
「おぉよく来たね。タケルちゃんとお友達ね」
と迎えてくれた。口元を見るに笑顔なのだが、目は開いているのかすらも分からなかった。
「オバさん今日はよろしく。戦争体験について聞かせて欲しいんだ」
健が言うと、キヨさんは
「ん〜ん〜、いいよいいよ。」
と応えて、口元をキュッと結んでから、話を始めた。
「戦争の頃は私たちはまだ南町の方に居てね、そこで敏彦あんちゃんが戦争に行くって決まったって話を聞いてみんなで万歳三唱をしたんだわ。敏彦あんちゃんは敵兵を倒してやるってね、みんなを守るぞって勇んでいてね、私はまだ九つだったからあぁ敏彦あんちゃん格好いいなぁと、そう感じたんだわ。今でも思い出すねぇ。
敏彦あんちゃんのお母さんは影で泣いててね。きっとあんちゃんがこんなに立派な格好してるのに喜んでいるんだろうって思ったのよ。えぇそう思ったわ。」
いきなり知らない人が話に出てきた。敏彦あんちゃんって誰だろう?近所のお兄さんなのかな?と訝しりながらも、キヨさんが続ける話に耳を傾ける。
「でもね、敏彦あんちゃんは帰っては来なかったね。満洲に行ったって話は聞いたけど、そこで病気で死んだって。敏彦あんちゃんが死んだって聞いても実感なんて湧かなかったわ。だって戦争に行ってから何の音沙汰もなかったんだもん。手紙くらいは届いてもいいもんだけどね、死んだって報せしか知らないわ。
それから、ユキ姉さんが軍需工場に勤める事になったって言って、東京に行ったのよ。何を作ってたか知らんけど、ウチに仕送りしてくれたお金でスイカ食べたの覚えているわ。
でもその内に空襲警報が鳴り出してね、アメリカの戦闘機が飛んで来るようになった。それで南町の今は図書館のある辺りに防空壕掘ってね、警報鳴るたびにみんなで逃げたのよ。
昼間だと飛行機見えるからいいんだけど、夜だと何にも見えなくてね、明かりをつけたら敵にバレるからって、真っ暗な中で防空壕がある方向へ走ったのよ。
どこかから風切音が聞こえてね、そうしてしはらくするとバッと遠くが真っ赤に燃え上がるんだわ。もうとにかく怖くって、早く防空壕に入らなきゃって思ってね。でも防空壕の中でも、爆弾が落ちてくると凄い音と地響きがしてね、もうホント、生きた心地がしなかったのよ。」
キヨさんはそこまで一気に話すとお茶を飲んだ。そして
「アンタらも飲みなよ。聞いてるだけじゃ眠くなるでしょ。」
と笑ってみせた。
南町の図書館なら何度か行ったことがある。そう言えば防空壕跡か何かがあったような気もする。戦時資料館が図書館の隣にあったから、きっと防空壕があった場所に作ったのだろう。行った記憶はあるが内容はよく覚えていない。誰かの手紙が沢山並べてあったのだけは記憶している。
「そのユキ姉さんって人は東京に行ってどうなったんですか?帰って来たんです?」
健が問うと隣にいた義博さんが東京で死んだんだと言った。キヨさんは悲しそうに頷いた。
「工場が爆撃されてね、もう死んだかどうかも分からないけど、その時工場にいた筈だって後から聞いたのよ。
だからみんな本当に死んだんだかわからないんだよね。沢山死んだから。本当に沢山。空襲警報が鳴り止んで、爆発音も地響きもしなくなったら、大人の人が防空壕の入り口に行って空を見てくれたのよ。で、もう戦闘機はいないぞって言ったらみんなゾロゾロと防空壕から出てね。
家がなくなってるって人もいて、なんだか知らない人と一緒に屋根の下で寝たりしたわ。子供が一人で泣きながらお母さん探してるのも見てね、可哀想ってよりも私もああなるんじゃないかって思ってお母さんの袖をキツく持ったりもしたわ。
もう怖くて怖くて、本当に沢山死んだんだ。みんな」
キヨさんの声は震えていた。デカい声ではあるが確かに震えていると感じた。それは当時を思い出しての恐怖なのか、それとも母との追憶への郷愁なのかは分からなかったが、今にも泣き出すんじゃないかとすら思われた。
矢作先生が言っていた通り、戦争とはやはり悲惨なもので、きっとキヨさんも戦争が憎かっただろうなと博武は考えた。
そして、あの戦争を始めた天皇の事がきっと憎かったろうとも。
「それからね、どれくらいだろう。もう月日も分からなかったよ。いつ空襲が来るか分からなくって、寝るに寝れずに毎日震えていたんだよ。
そうして私の弟のね、ツトムって居たんだけどお腹減ったって言ってそのまま眠ったなと思ってたらね。死んでたのよ。お父さんとお母さんが大層泣いててね、私もわんわん泣いた。一緒に遊んでた弟がね、死んだのよ。悲しくって悲しくって。
敏彦あんちゃんが死んだって報せの時には泣かなかったけどね、ツトムは動かなくなってて、返事してくれなくなってね、泣いたよ。火葬もお父さんが連れて行ったきりでね、お父さんが行ってる間にまた空襲が来てね。三日くらい帰って来なかったからお父さんも死んだって私ワンワン泣いたのよ。
お母さんがずっと大丈夫よぉって言ってくれてたけどもうこのままみんな死ぬんだって絶望した。でもお父さん帰って来てね。ツトムがどうなったかは聞けなかった。ただお父さん帰ってきてくれて本当に嬉しくて。ホントに。それからすぐ戦争が終わったんだわ。」
キヨさんは大儀そうに話してくれた。その話の壮大さと言うか、自分たちの想像なんかよりも遙かに大きな現実を認めて博武も健もしばし沈黙してしまった。
「そんなにツラい思いをされたんなら、戦争が終わった時はどう感じましたか」
博武は意識せぬ内にそう問い掛けていた。無意識に思わず尋ねていた。この問いには、嬉しかった、やっと終わった、戦争を始めた奴らが処刑されて良かったとそう言う答えが返って来ると知っていて、でも改めてキヨさんの口からそれを聞こうとそう考えていた。
キヨさんはしばし沈黙して、やや俯きながら、
「戦争が終わった時ね、天皇陛下が話して下さったんだわ。詔勅をね。戦争を終えるってね。その時ね…」
キヨさんは沈黙した。やがて鼻を啜る音がして、取り出したハンカチを目に当てた。あの時の喜びが込み上がって来たのだろうと博武は感慨無量になっていた。だがキヨさんが続けた話は矢作先生が言っていた内容とは違っていた。
「あの時、悔しかったぁ。本当に悔しかった。あぁ日本が負けたんだってね、みんな泣いていた。天皇陛下が負けたと言ったんだわってね。
なんで事だろうって。天皇陛下に敗戦を口にさせてしまったって、本当に悔しかった。」
キヨさんは涙を拭きながらそう話した。
「悔しかった?戦争が終わってうれしくなかったんですか?」
思わず博武が問うた。
「嬉しくなんてなかったよ。戦争に負けたんだってね。日本はもうお仕舞いだって思ったもの。だからね、みんなであの詔勅を聴きながらね、もし天皇陛下が殺されるならみんなで一緒に死のうって、そう話したのよ。
私もまだ十二だったけどね、天皇陛下が死ぬなら一緒に死のうって覚悟したよ。これで自分の人生も終わりだって考えたよ」
そう話すキヨさんの目は、涙を溜めてなお鋭く輝いていた。その輝きには、博武がまだ辿り着いていない覚悟と信念とが渦巻いているように感じられた。

天皇と死ぬって?戦争が起きたのを恨んではいないのか?敏彦さんとユキさんとツトムさんが死んだ戦争が、その戦争を引き起こした天皇が憎くないのか?なぜだ?
博武にはまだ理解できなかった。
「でも天皇のせいで戦争が始まったんですよ?そのせいでみんな死んだんだ。なぜ一緒に死ぬんですか?嬉しくはなかったんですか?」
博武は力めて説いた。あなたは戦争が終わって嬉しかったはずだと、戦争を始めた奴らが憎かったはずだと。
「そんなことはない。私たちはみんなで戦って、みんなで負けたんだ。だから死ぬ時はみんな死ぬって信じてたし、その覚悟があったから戦争中も生き続けたんだよ。
それなのにね、もし天皇陛下のせいにされて、天皇陛下だけが殺されるようなことがあったら、恥ずかしいことなのよ。死ぬならみんなで死ぬんだって思ってた。でもね、天皇陛下は殺されなかった。本当に良かった。
東京裁判で何人も殺されてしまったけどね、あの人たちはみんなの罪を背負った逝かれたんだわ。あの人たちはみんな私たちを守るために死んだんだわ。GHQに占領されて、天皇陛下が人間宣言されて、でも天皇陛下は私たちと一緒に生き続けてくれたんだわ。
本当にありがたいこと。本当に良かった。戦争を始めた人を憎むなんてことはしないよ。そりゃ戦争は辛かったし、もう起きて欲しくないけどね、戦争始めた人が憎いなんてことはないよ。みんなで戦争して、みんなで負けたんだ。だれかを責める為に戦ったんじゃないんだ、私たちは。」

その言葉はまるで、紺碧の青空が一枚のベニヤ板の様に落下してきて、顔面に撃ち当たったかのような、海という海が一閃の槍となり胸を貫いたような、例えようもない衝撃であった。
戦争は悪いことで、それを始めた人間は恨まれるのだと考えていた博武にはあまりにも大きな衝撃であった。僕は戦争によった誰を恨んだかを訊こうとしたが、そもそも誰かを恨むために戦争をしたんじゃなかった。

その日家に帰って、博武は早速課題に取り組むこととした。いや、今はもう課題だから書くという気分ではなかった。
今日の話は記さなくてはならないと、そう感じた。あの衝撃を現す言葉を博武は知らなかったから、ただその話を記すことはしなくてはならないとい確信した。
これは義務だ。今を生きる自分がいつか誰かに伝えなくてはならない、義務だ。そう考えると博武の筆は止まらなかった。

夏休みも終わって久しい九月十七日、博武は矢作先生から呼び出され、教務員室に来た。
「鈴木くん。君が書いたこの作文なんだが、君は本当にこう感じたのか。ちゃんと戦争経験の話を聞いたのか?え?聞いてないだろう。
君は自分の想像で書いたんだろう。なんだこれはこんなの間違っている。キチンと話を聞いて、書き直しなさい。」
提出した原稿用紙を突き返された。
「いえ、僕は本当に話を聴きました。河内の大叔母さんのキヨさんです。河内と一緒に聞きました。この作文は僕が感じたままを書いています」
博武は毅然と返した。この文にはなんら間違いはない。あの時のキヨさんの話と自分の感想を書いている。
「だとしたら君は間違っているぞ。ほらここ、
『戦争が終わったとき、必ずしも皆が喜んだわけではない。敗戦という未曾有の経験をした方の中にはより国を憂い、そして自分の死すらもこの現実に捧げなくてはならないと感じた人もまた居たのである。確かに戦争は絶対にもう起こしてはならないが、だからといってかつて戦ったものを蔑むことはできない。それはA級戦犯として葬られた人たちにも言えることである。ましてや終戦の詔勅を下された昭和天皇への恨みなど、もってのほかである。我らは全員で戦争を始め、全員で負けたのだ。これからの日本人はそれを忘れてはならない。忘れたとき、この国は再び戦争を始める。それも全員の手で。』
なんだこの文章は。ちゃんと話を聞いていないんだろう。だからこんなおかしい事を書くんだ。
君たちはゲームで人を殺してるんだからね、頭も戦争したい気分になってるんじゃないか。戦争を始めた奴らを許しているんじゃないか?
戦争は悪で彼らも悪なんだ。それをしっかりと理解しないとこの課題はダメだ。」
矢作先生は随分とお怒りの様子だったが、博武も博武で退くことはできなかった。
「いえ、これが僕の感じたことです。ウソは書けません。あとゲームは関係ありませんし、僕は戦争したいだなんて考えてません」
そう言うと矢作先生ははぁとため息を吐いて原稿用紙を突き返して来た。
「じゃあこの課題はダメだ。未提出として成績につける」
そう言われて博武は突き返された原稿用紙を持って教務員室を後にした。

校舎から外に出てふと見上げると飛行機が飛んでいる。
あれは旅客機で戦闘機ではないけれど、もし戦闘機が飛んできて、戦争が始まったのならば、それでも僕はこの作文に書いたことを掲げられるだろうか。
敏彦さんの様にみんなを守るために戦いに赴けるだろうか。ユキ姉さんのように軍事施設に仕事に行けるだろうか。キヨさんの様に、大切な家族を失ってそれでも生きていこうと思えるだろうか。
そう考えると自分はまだまだ覚悟なんて出来ないし、かの時の人々の心情を慮るにそこには今の僕らに想像が出来る程度の憎しみだとか悲しみだとか、そう言ったものはないんじゃないかと思われた。
もっと大きな、僕らでは到底想像も出来ないほどのものが、そこにはあったのではないか。その心は今はまだ生きている方々の胸にあるが、この先それを継いでいくことは出来ない。
その思いを継いでいけないのであれば、僕らはまた道を誤り、みんなで戦争を始めてしまうのかもしれないと、博武はあの空に対してあまりにもちっぽけな自分の姿を見るのだった。